今回こそ東京に誘致だ、いやイスタンブールで決まりだろう、などと五輪誘致合戦がたけなわだが、かつて埼玉がオリンピック誘致に乗り出していたことをご存じだろうか?これがその時の誘致ソング「埼玉オリンピック音頭」だ。


olympic



…いや、もちろん冗談なのだが。
 
この歌を歌っているのは「さいたまんぞう」という歌手だ。「なぜか埼玉」という、元々は自主製作盤のムード歌謡風コミックソングをヒットさせた歌手だ。この歌を作った人は別にいるのだが、「演歌を歌えない奴に歌わせよう」ということで知人の紹介を通じて歌うことになったらしい。本人は岡山出身で埼玉とは縁もゆかりもない。当初は埼玉県内のキャバレー回りなどをしていたらしいが、一躍火をつけたのはタモリがパーソナリティをしていたラジオの深夜放送番組だった。
 



なぜか埼玉


その直後、「なぜか埼玉」に次ぐ2枚目のシングルとしてリリースされたのがこの曲だった。ジャケットを見ると、当初は似非民謡風の「なぜか埼玉海がない」がA面候補だったのかもしれない。いずれにしても、企画に苦心していたことがうかがえる。なぜ架空のオリンピック誘致ソングだったのかというと、この曲が作られた1981年にも五輪開催地を決めるIOCの総会があって、五輪誘致がちょっとした話題になっていたからだろう。
 

今でこそ五輪誘致というと、現在の東京やイスタンブールのように、熾烈な誘致合戦がつきものとみられているが、当時は五輪自体に商業的な価値があまりなく立候補する都市も少なかった。この時も立候補していたのが日本の名古屋と韓国のソウルの二都市のみで、だから誰が「名古屋で決まり」だと思っていた。当時の韓国の経済力は先進国と大きな開きがあったし、なによりスポーツ弱国だった韓国には五輪大会の実績がなさ過ぎた。(現代でいえばバンコクやクアラルンプールあたりと競うぐらいの格の違いがあった)結果は政治力を駆使したソウルに決まるのだが、この時のガッカリ感はネタ的に消費されていたと思う。
 

なぜネタ的かというと、名古屋がネタ的な都市だったからだ。これが東京や大阪が出て行って負けたのなら、日本人ももう少し焦ったかもしれない。でもこの時は、やっぱり名古屋だよなー、アジアの無名都市に負けるなんて、という受け止められ方をしていたと思う。名古屋といえば、見栄張り・内向き・大いなる田舎、と揶揄されることが今よりもさらに多かった。その風潮の先頭に立っていたのが「なぜか埼玉」を世に出したタモリだった(ただしタモリはこの五輪誘致失敗以降名古屋バッシングをしなくなる)。

いずれにしてもネタ要素のあったこの時の五輪誘致は、ノベルティ・ソングのモチーフとして使いやすかったのだろう。




埼玉オリンピック音頭

1.
咲いた咲いた咲いた埼玉に
オリンピックの花が咲く
さあさ 踊ろよ輪になって
ねぎの花園 埼玉で
泣いてのびてるキシメン花も
玄界灘の荒波超えるキムチの花も
さあ踊れ

世界の花だよ ねぎぼうず
希望に咲け咲け ねぎぼうず
オリンピックの花開け
オリンピックは埼玉へ


2.
咲いた咲いた咲いた埼玉に
オリンピックの花が咲く
さあさ 踊ろよ手をつなぎ
ねぎの故郷 埼玉で
浮かれはしゃいだシャチホコ花も
歯茎に漂うほのかな香りニンニク花も
さあ踊れ

世界の憧れ ねぎぼうず
ドドンと行け行け ねぎぼうず
オリンピックに突き進め
オリンピックは埼玉へ

3.
咲いた咲いた咲いた埼玉に
オリンピックの花が咲く
さあさ 肩組んで
ねぎのたなびく 埼玉で
アキャもソーキャもミャーミャー花も
赤いベベ着て青息吐息トンガラシ花も
さあ踊れ

世界にはばたけ ねぎぼうず
朝だ朝だよ ねぎぼうず
オリンピックの日が昇る
オリンピックは埼玉へ
埼玉へ
埼玉へ

※歌詞は聞き取りによる

 

改めて聴いてみると極めて際どい歌詞で、名古屋も韓国もひどく揶揄しているのだが、よく問題にならなかったものだ。今だったらVANKあたりから猛烈な抗議を受けているかもしれない。


だが、和太鼓や三味線を使ったアレンジは素晴らしい。聴いていると正体不明の元気が出てくる気がする。この曲のアレンジを担当したのは小谷充だ。実は小谷は、本物のオリンピック・ソング「虹と雪のバラード」の編曲者なのだ。しかし似非五輪ソングだから起用されたわけではなく、作詞作曲の秋川鮎舟と同様、前作「なぜか埼玉」も担当しているので、そのまま呼ばれたというだけだろう。小谷はこれ以外にも「空手バカ一代」のテーマなども手掛けている。